正しい正しくないという話
皆デジタル的にON、OFF、0、1で正しいか正しくないか
と判断するのに慣れ過ぎていると思うのであります。
でっち上げて(言い方が悪いが)形にする、形になってるっていうのが
世の中であろうって事であります。
何かでプランが狂う事がある。
なのでつまじまを合わせるなんてのは普通に良くある話であります。
例えば大きな建物の階段が全部同じ高さか?っていうとそんな事は
無いだろう。っていう事なのです。
(そういうとこもあるのかもしれないけどね)
で
今度は建物を壊すっていうとまっさら綺麗な更地になる訳ではなく、
何かが残る訳です。
(例えば土台とか? )
するとそれを込みのやり方をする必要があり、
どこまで取り除けるか、その必要はあるのか、ではそれを踏まえて何をどう
建てるか、という話が出てくる訳なんであります。
要は1から完全な0になるとは限らない、という事であります。
さらに0と定義している更地だって元からある何かがある訳だから
完全な0ではない、という事ですね。
0か1という2元というのはあくまでも物差しであって、
そういう観念だという事です。
それはさておき
他に2元が関わって来る観念に善悪というものがあると思うのです。
ナイフは果物を剥くのに使うものだけど、人や他の生き物にに危害を加える
事にも使える訳です。
それはモノの性質上セットになっている訳であります。
モノに善悪の観念を付けるのは人間であるという話です。
モノ=なんでも良いんです。
例えば宇宙!宇宙は善か悪か?
そんなもん全部あるに決まってるじゃないか!
あ…ってなりますわねw
そんな事でちょっとでも悩むのはアホ臭くなってきますわねw
とはいえ善悪というのは確かにある訳です。
そういう行為は確かにある、他者を害する行為なんかですかね。
その定義は悪くない…
では
何が良くなかったか…というと
観念で全部を振り分けようとした、ケリをつけようとした。
っていう事なんですかね…
こんなのがジャッジするっていう事でありますかね。
全部デジタルに当てはめようとする。
それは本質を見誤っていると思うんでありますよ。
要は
理解するにはありのままをみるべし、
必要があれば
それを為す為には、解決する為には、何が問題かっていう話をすれば
良いのであります。
必要でない事はしなくて良い、それをあえてするのは故意か、経験不足
という事でございます。
そんなのを競ってする人達が上に行く作りになってますから、
押して知るべしな訳でありまして、古典的な表現を使いますとー
ダメだコリャ!
おしまい
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